仕事ができる人。という話。
書きたいことも溜まるし、仕事も溜まるし。
表現は変ですが、もどかしさに追われているようなそんな感覚の最近です。
こんな時にババっと「仕事がデキたら」と思うのですが、それが本質的ではないことを最近考えました。
僕の周りの方からすればブログの前に他の仕事しろよって感じだと思いますが(笑)大切な発信活動だと思って、忘れる前に書いておきたいです。
「仕事」というのは“仕事”と“作業”を混同した概念で語られることが多いと思います。なので今回の話においての定義をすると、
仕事:不可能だったこと(できなかったこと)を可能にすること
作業:既に動いている物事を止めないための業務
だとしておきます。そんな感じに考えています。
大概の場合、“作業ができるようになる=仕事ができるようになる”と捉えられがちですが、作業の先にあるものは円滑な運営であり、不可能を可能にすることに繋がる作業はごく一部です。
だから作業の先に仕事は少なく、「作業をする」ということと「仕事をする」ということは全く性質の異なった行動をしていることになります。
よりレアで価値があるのは「仕事をすること」です。
ただ、物事を円滑に進めることも大切なので「作業をすること」も貴重な能力です。
だから、スタッフさん達にはまず「作業をすること」を覚えた上で、「仕事をすること」ができる人になったら良いなと思っています。
作業ができることで得られる報酬は限界があります。なぜなら多くの人ができるから。
もちろん貴重な労働であることには変わりないのですが、その先に自動的な出世があると思ったら大間違いです。やはり自分の価値(収入)をジャンプアップさせようと思ったら、今までできなかったことを達成するから、会社としてもリターンするだけの原資が新たに生まれる。それを作った人には相応の対価を払う。ということだと思うのです。
ただ難しいもので、過去の経験を活かしていきなり「仕事させてください」という方も多いのですが、(要は自分は基礎や作業はやりたくないんだけど、新規事業みたいな華やかででっかいことをオレはやりたいんだと言っている)多くの場合、このチャレンジが身を結ぶところを見たことがありません。
それは“作業をする”という基礎を分かっていないと、人が何を考えて、どうすれば動いてくれて、「不可能だったことが可能になるか」という理論と行動ができないからだと思います。
全ての行動に無駄なことはありません。
それでも、作業ができたからといって、仕事ができる人になれるとは限りません。
仕事ができる人になる=自分の価値を高めるために意識するべきなのは“現在できないことをできるようにして利益を得られるようになること”です。
誰でも“仕事ができる人”になれる可能性を秘めています。
僕ももっと、もっと“仕事ができる人”になりたいです。
世界一仕事ができるぐらい。もっと。
ではでは。
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